2021年10月28日
飛騨の巨大古墳巡りツアー その2
このブログにたびたび登場される有道杓子の若き師匠、ご出身の南河内の古墳は世界遺産
その辺りの「巨大古墳ツアー」を検索してみると、セスナで廻ると出てきました。規模が違いすぎる…サボ子です
「実家の近くの天皇陵は…山です」ですと!!!
さて、飛騨の巨大古墳は長さが100m以下なので観光バスで回りましたが、それでも小さな道を通るので大型バスを止めてから古墳までてくてく歩きます。
その1では、古川の3つの古墳を巡りましたが、続いては我が町国府へ
国府小学校のスクールバスの停留所でバスを降り、グラウンドを突っ切って反対側にある看板の前へ。
ここは昔「亀塚古墳」という、亀の形をした古墳があった場所。
東西73m、南北70m、というのでかなり大きいですね
明治と大正にそれぞれ壊して、小学校とグランドを整備したという…。
5世紀の前半に作られたというこの亀塚古墳からはたくさんの出土品があり、鉄剣、鉄刀、鉄鏃、そして甲冑。
しかもこの鉄は、朝鮮半島で産出される鉄だったことがわかったそうです。
こうした甲冑の出た古墳は岐阜県内に6基しかなく、この亀塚古墳は相当なリーダーが眠っていたと推測され、今話題の漫画『呪術廻戦』で有名になった両面宿儺の墓ではないかという説も!
(オマケで丹生川のゆるキャラ、大好きな「すくなっつー」の記事を貼っておきますこれもまた両面宿儺の愛される一面)
しかも、この甲冑は近年復元されており、そちらも「こくふ交流センター」で見てきました。
ここで講師の酒井さんの名調子炸裂!
ある時、古川のとある公民館の2階で「亀塚古墳出土品」と書かれた箱を偶然見つけてしまった国府町教育委員会の酒井さん。
この甲冑のパーツは、個人でバラバラに保管されていたものを飛騨の歴史に詳しい古川のある方がまとめてその公民館に保管されていたそう。
「生まれ故郷の国府に戻してくれ!」
何年もかかって古川から国府へ甲冑のパーツを戻してもらうことに成功し、さらに400万円をかけて復元したそうです。
しかしよーく見ると、サビっサビの小さなパーツをよくもまあここまで繋ぎ合わせて甲冑にしらはったなぁ〜と驚くばかり。
わたしもしょっちゅう交流センターへ行くのに、ちゃんと見ていなかったなぁ。。。
同じくサビっサビの鉄剣なども展示されています。
「鉄剣と鉄刀って何が違うんや?」とわたし
「刃が両刃か片刃かじゃないのかな」とOちゃん
「そうですよ」と同じツアーの参加者の方。
うーん、心強い
いろんな疑問を声に出して、みんなで語り合って、深まってゆく。
続いては、午前中最後の古墳「三日町大塚古墳」へ。
ここはずっと行きたかった古墳でしたが、人様の土地だとわかっていたのでひとりでは行きづらく…。
いよいよ初めて訪れます!
それがこちら!
そう、上にツンツン飛び出しているのはネギ。
柿の木も栗の木も梅の木も植っています。
この古墳全体が畑になっているのです。
しかも、後円部は真ん中を中心にルーレットのように6分割され、6人の方が畑をやっています。
土地改良の際に国府町の教育委員会が周辺部を掘ったところ、くびれを発見し、前方後円墳であることがわかったとか。
くびれ、わかりますか?
段になっているので、下の段にもネギやかぶが。
前方部もしっかり耕されて、全体が畑です。
だから来られませんでした…。人んちの畑だから
しかも未発掘だそうです。中に何があるのか誰もわかりません。
レーザー探査したところでは、竪穴式の石室だということがわかっているそうです。
これは前方後円墳ではなくそれよりも古い「帆立貝式古墳」かもしれないという専門家もいるそうです。
「帆立貝式」!初めて聞きました。
以前、国府のマスコットキャラクターに「古墳のコクフーン」で応募したワタクシ
この三日町大塚古墳の写真を見て、お腹から大根が抜けるような構造のキャラクターにしたいと思っていました。
(ごちゃごちゃしすぎて最後には諦めましたが…)
これがお墓なら、みんなが耕して野菜を植えたり、木の実を採ったりするお墓って、なんて素晴らしいんだろう
平和で国府らしくていいな〜と思いました。
実際に来てみて、お墓の理想形がここにある!と思ってしまいました。
たくさん歩いて頭もつかってそろそろお腹も空いたので、このあとはお弁当タイム
まさかとは思いますが、まだまだ続きます
午後からはその日欠席の田中さんのピンチヒッターに、これまた大ファンの案内人の方が来られるとのこと…。
ワクワク
何度も登場、古墳のコクフーン。今は正式なキャラクター「キンゾー」さんががんばってますよ
Posted by サボ子 at 15:50│Comments(0)
│つれづれ
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。