2021年10月25日
飛騨の巨大古墳巡りツアーに参加してきました! その1
古川の若宮駐車場にて、上空には群れで飛ぶ30羽ほどの鳩…。
何度旋回しても、横へビューンと飛び出してしまう1羽…まるで誰かを見ているよう…サボ子です
毎週楽しみに聴いているTBSラジオ(エリア外なのでradikoプレミアムで)『安住紳一郎の日曜天国』では、その日5年ぶりの鳩レース。
鳩レースの様子やあの飛び出し1羽の様子も気になりながら、昨日は朝から若宮駐車場に停められた久々野観光の大型バスに乗り込みました!
9月に開催予定だった飛騨市公民館講座「飛騨の巨大古墳巡り」に、晴れて参加することができましたー
飛騨市民の2人の友人から誘ってもらって、夏から楽しみにしていたのに延期になったので、申し込みをしてくれたIちゃんが行けず…
友人Oちゃんと、他の参加者の皆さん、大体30人ほど。
シニアの方が多かったですが、大きな観光バスにご縁あって集まった皆さん、1日よろしくお願いしまっす!
今回は、去年「みやがわ考古民俗館バックヤードツアー」で大ファンになってしまった飛騨市教育委員会の三好清超さんと、国府の歴史といえばこの方 「今日で90歳と15日」とおっしゃる酒井松彦さん、高山の歴史といえばこの方 田中彰さんが講師とのことで、夏からとても楽しみにしていました。
講師の皆さんの声がちゃんと聞こえるように、声が無線でひろえるイヤホン一式を貸していただき、準備は万端。
最初の古墳は、古川の信包(のぶか)八幡神社前方後円墳。
ここで講師の三好さん、酒井さんとご対面(田中さんは急遽欠席)。
いきなり古墳の上へ上がります。
草もきれいに刈ってあって、細い黄葉する木が何本も生えています。
なんとも清々しい雰囲気の場所、一目で好きになりました
この古墳の前方部と後円部との境目で、三好さんから古墳時代とは、古墳のカタチ、そしてこの古墳についてまず聞かせてもらいます。
この信包八幡神社前方後円墳は、全長64・2m。
飛騨市最大の古墳だそうです。
6世紀初頭の古墳で、明治時代に発掘されて様々な副葬品が出土。(その副葬品は京都国立博物館に)
「副葬品、石室の石の積み方や形で時代がわかる」ともおっしゃっていました。
こちらの石室は、平たい石を何層にも積み上げて作る石室で、能登や氷見で見られる方法だそうで、北陸の文化の影響が。
一方前方後円墳の鍵穴の形は、大和朝廷の勢力がきていた証拠でもあるとか。
古墳一つでいろんなことがわかる!みんなメモをとりながら大興奮です。恥ずかしいけど言わせていただきます。古墳にコーフンしています!
後円部から古墳のくびれを狙って撮ってみましたが…わかりにくい…
シニアが多かった昨日のツアーでしたが、みなさん好奇心旺盛なだけでなく、本当によくご存知!
「誰が埋葬されていたのですか?」
「あっち側にある小高い山も古墳でないんか?」
「副葬品が京都の国立博物館にあるのはなぜですか?」など、三好さん質問攻め。
わたしとOちゃんは一つ目の古墳から、情報量の多さと形の美しさと参加者の人たちのすごさで圧倒されっぱなし。
「こんなにすごいツアーだとは…」
続いてまたバスに乗り込み、「二ツ塚」と呼ばれる「大洞平第1号古墳」と「第2号古墳」へ。
あたりは間伐されたいい森で、きれいな花も咲いていました。
この後ろにもう一つ古墳が。
ここはふたつとも四角い「方墳」だそうで、飛騨では宮川の左岸にいくつかあるだけで残りのほとんどは丸い「円墳」なんだそうです。
ここでは石室にも入らせてもらえました。
狭くて低い羨道を抜けると…
遺体を安置する玄室内部の石組みです。何度やってもうまく写せなかった…
とにかくさっきの信包の古墳よりはるかにでかい石が積み上げられています。
こちらは古墳時代中期以降のものと言われているようです。
最初の頃は飛騨全体を治めているような人の大きな墓だったのが、だんだん小さい地域を治めていた人々にも古墳が作られるようになったそうで、「古墳群」としていくつか周りにも小さい古墳があるのだとか。
時代の変遷が、こうやって石の積み方や古墳の大きさからわかるなんてたーのしー!
「この石の種類は…」と質問する人もあって、「やっぱ、石かー!」とワタクシ
タモリさんみたいに、石に詳しいとますます面白くなるよな〜次は石マニア?
朝霧もだんだん晴れて、続いては飛騨で一番古墳の多い我が町国府へ!
かなり長くなりそうなので、続きます
かなり長くなりそうなので、続きます
これを読んでいる方に、どれだけ古墳に興味のある方がおられるかわからないけど…続きます
Posted by サボ子 at 15:58│Comments(0)
│つれづれ
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