2017年02月05日
素直なココロの作り方? その②
テレビを観ていたら、「ゼッタイ持てない」というような2ℓのペットボトルの入った袋を両手で下げる(たぶん片方の袋に10本ずつで20本?)実験をしていました。
「ううっ!重い!」とみなツラそう。
そこで、合気道の先生がその人につま先で立ってもらってその身体の癖を見て、「この体勢で持ってください」と言うと、
あら不思議。
本人が一番驚いている様子で、軽々とペットボトルの入った袋を持ち上げられる、という。。。
合気道の先生は、その人の身体の使い方をアドバイスしただけ。
先生曰く、「現代人は、かかとに重心がかかった人が多い」とのこと。
前回書いたように、わたしも弓道の稽古でその反り腰を直して直して…かなり苦労して3年経ちましたが(http://sabo.hida-ch.com/e830452.html)、
「癖のない身体に、人間が持っている本来の力が発揮される(ココロも!)!」みたいなことを、このテレビでも感じたのです。
「そそそ、そうだよね!!!」
ひとりでコーフンしていたら、ちょうどそこへ「ゆる体操」の講師をしている友達のさっちゃんが来てくれました!
なんていいところに!!!
さっちゃんは日ごろから、「からだの余計な力を抜く」「百会(ひゃくえ・頭頂)から吊るされているように、背骨を軸にして動く」
ということをいつも言っているのだけど、吊るされているように歩けない・動けないんですよ、これが!!!
不意に人ごみの中でさっちゃんを発見したとき、歩き方がほんとにステキで、それはマリリン・モンローみたいとかではなく、
ほんとうに「余計な力が入っていない」のに、スッとしてるというか…。
一方、弓道の稽古でも、「腰から歩け」(腰を振るな)「重心を前に」「お尻をしめて」と言われます。
稽古を始めてから、ビックリするほど汚かった歩き方が少しずつ改善されたのですが、
それはさっちゃんの言う「余計な力」を抜いているとは思えず、苦労して意識して、お腹やお尻に力を入れて作り出した姿勢。
実際、久々の稽古でひどい筋肉痛に苦しめられた訳ですが…。
だけど、なんだか、さっちゃんの言っている「力を抜く」ことと、弓道の「いい射」が出る姿勢が全く逆のことをしているとは、どうしても思えなかったのです。
どちらも、「からだを最大限に活かす」(本来の自分の身体に近づける)ことのような氣がして。。。
ついでに言うと「靈氣」も「丹田」(下丹田・おへその少し下)にエネルギーをためて、手から放出する方法です。
宇宙のエネルギーを身体に通して、濁りない状態で出していくんです。
最終的には「宇宙と一体化する!」という弓と、きっと関係するという、根拠のない確信があってここまで来たんだよ…。
(だんだんSFっぽく聴こえる人も出て来たかも…)
素直な身体にすごい力が宿る(というか、元々もっている力が発揮できる)。
逆に言うと、癖のある身体に余計なものが宿る(病気もしかり)。
テレビで観た合気道の先生のやっていることも、なんだか「これなんだよ!」感がある。
つながりそうでつながらない…。
ちょうど、靈氣の練習会で話題になっていたのが「経血コントロール」(ここからは男性のみなさんはわからない領域かもしれませんが、興味があればお読みくださいね)。
昔の人は、パンツをはいてなかったですよね!
わたしの祖母も着物の下は…。
母は、生理用品が出かけの頃の人です。若い時は、自分で脱脂綿を詰めて手づくりしていました。
「最初から生理用品があって、サボ子はいいね〜」って言われました。
長ーい人類の歴史の中で、子どもが生まれ続けてきたのに、生理用品がない歴史のほうがはるかに長い!
それまでの人はどうしていたのか!
日本に限って言えば、着物の下はパンツもないのにどうしていたのか!
三砂ちづるさんの『オニババ化する女たち』という本を読むと、
綿を膣にチョコッといれていただけなのだそうです。
トイレに行ってはなるべく経血を出して、また綿を詰める。
家にいるからちょくちょくトイレに行ける、という理由もあったかもしれませんね。
でも、靈氣とか弓とか「日本古来」のものにあこがれのある身としては、「宇宙と一体化」すること(本来の身体とココロの使い方をマスターすること)と、「経血をコントロールできていた昔の人の身体にもどってみること」に意味があると思っていたんです。
すると、さっちゃんが「座っている時にグラグラするなら、骨盤の上に背骨(腰椎〜頸椎まで)を一本一本乗せていくようなイメージをする」「最終的には百会から吊り下げられているように」とアドバイスしてくれました。
この「百会から吊り下げられる」というアドバイスは、前から話してくれていたことでもありますが。。。
さらに、「お尻を閉めるのではなく、陰部を締めるような気持ちで」と言いました。
これは、女性にしかわからないかもしれませんが…。
経血の出るところを閉める(昔の人がやっていたこと)と、シュッと歩く・立つ・動くことがつながりました!!!
なんだかわかったぞ!さっちゃん、ありがとう!!!
多分、男性は帯を締めるところも違うし、身体をしめる部分も違うんだと思います。
(男性は下丹田で帯を締められるからいいな〜とうらやましく思うことも)
女性は女性の部分を…。
これを聞いたら、歩くときのコツがちょっとわかったような氣がしたのです。
「余計な力がいらない」
は、現代人にとってはちょっとはき違えてしまう言葉なのかもしれないな〜!と思った次第です。
軸の大事な部分に力が入らない状態となってしまった生活習慣で、大事なところには力を、あとは抜くというのは、
ひとりひとりの生活の中で検証していくしかないのかも!
和式トイレ、野良仕事、帯を締める、日本人にとってとっても大切なことだったのかもしれないな〜としみじみ感じるのです。
そして、それぞれに「本来の身体」を感じることができたら、とっても健康でシアワセだと思うのですよね。。。
頭ではわかっていても、やっぱりサボ子もバランス悪いままです。。。
それぞれの身体のつかいかた、見つけられると世界平和だな〜!ってね。
自分の身体を使って、そして友達の意見を聞いて、一生かかって探してゆくものかもしれませんね。
とにかくもうちょっと身体を動かそう。。。
わたしとしては大発見、だけど日常にまぎれてしまうような、とっても大事で普通のこと。
初心忘るべからず(最初の頃のハズカシイ自分の姿を忘れるな、という意味だそうです)。
2年前のワタクシ
「ううっ!重い!」とみなツラそう。
そこで、合気道の先生がその人につま先で立ってもらってその身体の癖を見て、「この体勢で持ってください」と言うと、
あら不思議。
本人が一番驚いている様子で、軽々とペットボトルの入った袋を持ち上げられる、という。。。
合気道の先生は、その人の身体の使い方をアドバイスしただけ。
先生曰く、「現代人は、かかとに重心がかかった人が多い」とのこと。
前回書いたように、わたしも弓道の稽古でその反り腰を直して直して…かなり苦労して3年経ちましたが(http://sabo.hida-ch.com/e830452.html)、
「癖のない身体に、人間が持っている本来の力が発揮される(ココロも!)!」みたいなことを、このテレビでも感じたのです。
「そそそ、そうだよね!!!」
ひとりでコーフンしていたら、ちょうどそこへ「ゆる体操」の講師をしている友達のさっちゃんが来てくれました!
なんていいところに!!!
さっちゃんは日ごろから、「からだの余計な力を抜く」「百会(ひゃくえ・頭頂)から吊るされているように、背骨を軸にして動く」
ということをいつも言っているのだけど、吊るされているように歩けない・動けないんですよ、これが!!!
不意に人ごみの中でさっちゃんを発見したとき、歩き方がほんとにステキで、それはマリリン・モンローみたいとかではなく、
ほんとうに「余計な力が入っていない」のに、スッとしてるというか…。
一方、弓道の稽古でも、「腰から歩け」(腰を振るな)「重心を前に」「お尻をしめて」と言われます。
稽古を始めてから、ビックリするほど汚かった歩き方が少しずつ改善されたのですが、
それはさっちゃんの言う「余計な力」を抜いているとは思えず、苦労して意識して、お腹やお尻に力を入れて作り出した姿勢。
実際、久々の稽古でひどい筋肉痛に苦しめられた訳ですが…。
だけど、なんだか、さっちゃんの言っている「力を抜く」ことと、弓道の「いい射」が出る姿勢が全く逆のことをしているとは、どうしても思えなかったのです。
どちらも、「からだを最大限に活かす」(本来の自分の身体に近づける)ことのような氣がして。。。
ついでに言うと「靈氣」も「丹田」(下丹田・おへその少し下)にエネルギーをためて、手から放出する方法です。
宇宙のエネルギーを身体に通して、濁りない状態で出していくんです。
最終的には「宇宙と一体化する!」という弓と、きっと関係するという、根拠のない確信があってここまで来たんだよ…。
(だんだんSFっぽく聴こえる人も出て来たかも…)
素直な身体にすごい力が宿る(というか、元々もっている力が発揮できる)。
逆に言うと、癖のある身体に余計なものが宿る(病気もしかり)。
テレビで観た合気道の先生のやっていることも、なんだか「これなんだよ!」感がある。
つながりそうでつながらない…。
ちょうど、靈氣の練習会で話題になっていたのが「経血コントロール」(ここからは男性のみなさんはわからない領域かもしれませんが、興味があればお読みくださいね)。
昔の人は、パンツをはいてなかったですよね!
わたしの祖母も着物の下は…。
母は、生理用品が出かけの頃の人です。若い時は、自分で脱脂綿を詰めて手づくりしていました。
「最初から生理用品があって、サボ子はいいね〜」って言われました。
長ーい人類の歴史の中で、子どもが生まれ続けてきたのに、生理用品がない歴史のほうがはるかに長い!
それまでの人はどうしていたのか!
日本に限って言えば、着物の下はパンツもないのにどうしていたのか!
三砂ちづるさんの『オニババ化する女たち』という本を読むと、
綿を膣にチョコッといれていただけなのだそうです。
トイレに行ってはなるべく経血を出して、また綿を詰める。
家にいるからちょくちょくトイレに行ける、という理由もあったかもしれませんね。
でも、靈氣とか弓とか「日本古来」のものにあこがれのある身としては、「宇宙と一体化」すること(本来の身体とココロの使い方をマスターすること)と、「経血をコントロールできていた昔の人の身体にもどってみること」に意味があると思っていたんです。
すると、さっちゃんが「座っている時にグラグラするなら、骨盤の上に背骨(腰椎〜頸椎まで)を一本一本乗せていくようなイメージをする」「最終的には百会から吊り下げられているように」とアドバイスしてくれました。
この「百会から吊り下げられる」というアドバイスは、前から話してくれていたことでもありますが。。。
さらに、「お尻を閉めるのではなく、陰部を締めるような気持ちで」と言いました。
これは、女性にしかわからないかもしれませんが…。
経血の出るところを閉める(昔の人がやっていたこと)と、シュッと歩く・立つ・動くことがつながりました!!!
なんだかわかったぞ!さっちゃん、ありがとう!!!
多分、男性は帯を締めるところも違うし、身体をしめる部分も違うんだと思います。
(男性は下丹田で帯を締められるからいいな〜とうらやましく思うことも)
女性は女性の部分を…。
これを聞いたら、歩くときのコツがちょっとわかったような氣がしたのです。
「余計な力がいらない」
は、現代人にとってはちょっとはき違えてしまう言葉なのかもしれないな〜!と思った次第です。
軸の大事な部分に力が入らない状態となってしまった生活習慣で、大事なところには力を、あとは抜くというのは、
ひとりひとりの生活の中で検証していくしかないのかも!
和式トイレ、野良仕事、帯を締める、日本人にとってとっても大切なことだったのかもしれないな〜としみじみ感じるのです。
そして、それぞれに「本来の身体」を感じることができたら、とっても健康でシアワセだと思うのですよね。。。
頭ではわかっていても、やっぱりサボ子もバランス悪いままです。。。
それぞれの身体のつかいかた、見つけられると世界平和だな〜!ってね。
自分の身体を使って、そして友達の意見を聞いて、一生かかって探してゆくものかもしれませんね。
とにかくもうちょっと身体を動かそう。。。
わたしとしては大発見、だけど日常にまぎれてしまうような、とっても大事で普通のこと。
初心忘るべからず(最初の頃のハズカシイ自分の姿を忘れるな、という意味だそうです)。
2年前のワタクシ
Posted by サボ子 at 17:44│Comments(0)
│つれづれ
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。