2021年05月01日
「ブラ国府」に行ってきました
弓道の段級審査、またまた落ちました…抜け殻状態のサボ子です
先ほど、国府のまち協主催の「ブラ国府」特別編〜半田・横河山の石仏・石碑を訪ねる〜に参加してきました。
所属している「さくらんぼおはなしの会」の役員引き継ぎの時に、前会長さんと副会長さんが、
「ブラ国府おもしろいよ〜国府の歴史がわかってな、楽しいし勉強になるよ〜」と2人揃って大プッシュ
それなら…と、4月の頭に申し込みをして…すっかり忘れてしまった!!!
開始時間に案内人の方から電話がかかってきて、「今すぐ行きます!」と飲み物もカッパも持たず、午前の農作業の格好のまま家を飛び出しました
集合場所の半田公民館で、まだ最初の案内をしておられてなんとか合流!
ほんと、ご迷惑をおかけしました…。
案内をしてくださったのは、古くから国府にある安国寺の御住職の堀さん。
どうやら、半田の公民館の裏手の山の上に大きなお寺があったそうで、最終目的地はそこ。
えっちらおっちら細い道をひたすら登ってゆきます。
参加者の多くはシニアの方々。みなさん健脚です。
登りの途中にいろんな石仏や石碑が立っています。
これは観音様だそう
案内の堀さんが、台座にどんな文字が書いてあるのか、なんと読むのか、いつ頃作られたものなのか、かつてお堂があったのかどうかなど、先人が調べたことやご自身が調べられたことなどを交えて丁寧に説明してくれます。
石仏のそばの手水鉢。宝珠の形に彫られているのではとのこと。かわいらしい
なんとなく、わたしの住む瓜巣にある山城・高堂城跡の山の感じにも似ています。
すると、
「ここは古墳跡でもあり城跡でもあったようです」とのこと。
山全体が意図を持って整備されている感じがします。
「今はいろんな木が生えていますが、江戸時代中期は草山でした。下草刈りをして田んぼに入れるための山でした」
「杉やヒノキはわりと新しい時代から植林が始まったと思われます」
「昔はここからの景色も見晴らしがよかったでしょう」
そんな話もとても興味深いです。
そしていよいよ本堂のあった場所へ。
中世にあった「横河山 安養寺」という寺の跡です。
戦国時代に、戦によって無くなったとの事でした。
よく見ると柱を立てる礎石が等間隔に並んでいます
本堂のあったところには御堂が建てられていて、石でできた薬師如来が祀られていました。
そしてそこから右へ目をやるとお地蔵様。
山の上の広々とした空間が少しわかるでしょうか。
このお地蔵様は、大原騒動で籠訴をした町方村伊兵衛さんという方の供養のために建てられたそうです。
ここへ来るまでも、半田村の渡辺市兵衛さんのお名前と、大原騒動の話をたくさん聴きながら登ってきました。
「さくらんぼおはなしの会」でも、大原騒動の話をしてくださる会員さんがいて、
「えらいことやったんやなぁ」と改めて思いました。
それにしても、慌てて飛び出してきてしまったため、今日「打首獄門同好会」(というバンド)の「獄」と大きく書かれたトレーナーを着て来てしまった…。
なんというか…場違いなのかハマりすぎなのか…恥ずかしくて申し訳ない気持ちに…
最後は、享保年間に作られたというお地蔵様(?)の石仏でフィニッシュ
誰かに似てる感じがして親しみがわきます
先月、この日のために枝打ちなどをして道を整備してくださったとのことで、大感謝です
楽しい時間をありがとうございました!
次回もまた参加したい!次は遅れません
Posted by サボ子 at 17:54│Comments(0)
│つれづれ
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